武庫川河口
兵庫県(兵庫県西宮市)武庫川河口 画像
兵庫県篠山市真南条地区付近に源を発して南流。三田盆地を潤したのち再び山峡に入り、武庫川渓谷を形成する。宝塚市街西方で大阪平野の北西端へ出て南流、下流域では尼崎市と西宮市の境界を成しつつ大阪湾に注ぐ。
最終氷河期までの武庫川は篠山川の下流であった。これは川代渓谷の標高が176mであることと篠山盆地の堆積物を除いた基盤の丹波層群の基盤の標高が160mであることから判明している。最終氷河期までの篠山川は傾斜の緩やかなことから排水が悪く、当野付近の基盤岩が武庫川に堆積し、さらに流れを堰き止めた。川代渓谷の誕生とともに排水は改善し、盆地に堆積されていた堆積土の侵食が始まる。武庫川の水は篠山川に奪われた結果、分水嶺は盆地南部に移動する。篠山川の流れは速くなり、盆地を侵食していった。
源流部では武庫川は小川だが、谷筋の田圃の間を流れながら周辺の山から流れ出る水を集めて次第に大きくなり、三田盆地に入る。広やかな三田盆地の田圃の間をゆっくり流れる間にも、支流からの水を集め川幅を広げる。三田市内の武庫川沿いの田圃では毎春レンゲの花が見られる。三田周辺の武庫川東岸側は人口の少ない地域で、上流側の支流には青野ダム、下流側の支流には千刈ダムの2箇所の上水道用貯水ダムがある。西側は最近特に住宅地として開発されてきた地帯で、武庫川にもかなりの下水が流れ込む。
三田盆地を抜けると急に山間部に入り、武庫川渓谷となる。渓谷入口には流域の鎌倉峡・百丈岩などの巨岩が聳える。波豆川と合流する地点には神戸市の千苅浄水場があり、千苅ダムから上水道用浄水をしているが、過去の水不足の際には緊急給水をこの武庫川の水から実施したこともある。武庫川は山間を蛇行しながら下ってゆくが、途中しぶきを上げるような急流も各所に見られる。途中の川岸には秘湯、武田尾温泉がある。このあたりに治水を主眼とした巨大なダム(武庫川ダム)を作る計画が持ち上がり、流域の住民との間で話し合いが行われていたが、2010年9月になって「ダム建設には合意形成や完成までに時間を要する」として、事実上計画は消滅した。なお、JR西日本福知山線の武田尾駅から生瀬駅方面の武庫川渓谷沿いには福知山線旧線跡が残り、現役当時の姿のトンネルや鉄橋が多く、ハイカーらに人気が高いが、管理するJR西日本は宝塚市や西宮市に対しこのルートの閉鎖の打診をしている。
渓谷を抜けると、宝塚で大阪平野に出る。この大阪平野への注ぎ口は扇状地のようになっている。宝塚の市街地付近では宝塚観光ダムにより深度が確保され、かつてはボート遊びを楽しむ人々の姿が見られた。宝塚大劇場は川沿いから見ることができ、観光ダムの中央には宝塚観光噴水(ビッグ・フェニックス)が設置されるなど、いかにも行楽地といった趣である。また夏には河川敷で宝塚観光花火大会が開催され、多くの人が訪れる。ここから河口までは河川敷の大部分が整備されており、休日には球技やジョギングなどを楽しむ人の姿が見られる。
尼崎市と西宮市の間を流れる下流部では、両岸は松並木の茂る高い堤防となり、川底が周辺の地面より高い天井川である。第一阪神国道武庫大橋の西宮側ではかつて関西を代表する高級ホテルだった旧甲子園ホテルがその優美な姿を見せている。尼崎市西大島(当時は武庫郡大庄村)の堤防上では、明治期に旗振り通信が行われ、尼崎市金楽寺の電報電話局別館と西宮市六湛寺の市役所前とを中継した。阪神電鉄本線より南の最下流部は汽水域となり、ハゼ釣りの名所となっている。